飯塚玲児の”郷土の味 逍遥” 武家の町で“魚の中の魚”を食う(新潟県村上市)

皇后さまゆかりの地、越後村上は武家の町である。

お城山と呼ばれる、かつて村上城がそびえていた小高い山があり、旧市街地のほぼどこからでもこの山が見える。昔の人びとは、常にお城を見上げながら生活していたのだろう、と思わせてくれるのがいい。

「肴町」や「鍛冶町」などの古い地名が今も残っている。さらに、国の重文に指定された若林家住宅など往時の武家屋敷も点在、城下町の趣を伝えている。市役所脇の道では、毎月2と7の付く日に、大正8年から続く六斎市が立つ。日本海沿いには、石油掘削時に湧き出した瀬波温泉が温泉街を作っている。

 この町を全国区にしているものは、華麗なオシャギリが練る村上大祭、伝統工芸品の村上堆朱、そして「雪中梅」を始めとした銘酒など、たくさんある。しかし最大の名物は、なんといっても「三面川の鮭」なのである。

 江戸時代から三面川の鮭は村上藩の重要な資源だった。その鮭の、今では常識でもある“母川回帰性”(サケ・マス類の魚が生まれ育った川から海に降った後、再び生まれた川に産卵に帰ってくる習性のこと)を世界で初めて発見し、「種川の制」を考案した偉大な人物がいた。正徳3年生まれの下級藩士・青砥武平治である。

 この制度は、三面川下流の産卵に適した場所(中洲)を柴などで区切って「種川」という人工河川(分流)を作り、ここでの鮭漁を禁止して、遡上鮭の産卵を促し、稚魚を守るという“自然ふ化増殖システム”であった。これによって鮭の漁獲高は3〜5倍にもなったという。河畔の鮭公園には、彼の銅像も立っている。

 鮭公園の入り口には鮭の博物館「イヨボヤ会館」があり、武平治の功績などのほか、種川を遡上する鮭の生態をガラス越しに観察できるコーナーもある。「イヨ」も「ボヤ」も「魚」を意味する言葉で、村上では鮭のことを「イヨボヤ」と呼ぶ。この地域では「魚といえば鮭」という意味なのだ。



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