オウム真理教死刑囚の死刑執行、死刑廃止論と弁護士~武田邦彦集中講座 今の話題を深く考える(2)

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◆前代未聞の13名の死刑執行。「死刑廃止」について議論してみる

テレビのコメントがもう一つ浅いので、何か事件や話題がでても、十分にその意味を理解したり、将来を考えたりできない状態にあります。そこで、このシリーズでは最近の話題を少し深く考えてみたいと思います。今回が2回目です。

日本社会を震撼させたオウム真理教事件。1988年の信者事故死の隠蔽から始まり、サリン事件を経て、1995年の行政と捜査の妨害事件まで、死者29名、負傷者6000人という大事件であり、そのほかにも教団内での死者行方不明は30名を超えています。裁判は2017年まで続き、2018年7月に13名の死刑が執行されました。まさに大事件です。

やや風化し始めたとは言え、多くの若者や学歴の高い技術者なども信者になり、凶悪犯罪をするに至った現代社会というものは、現在でもそれほど十分に考えられているわけでもなく、社会の病根はほぼそのままの状態であるともいえます。でも、やはり大量の殺人、大量の死刑執行という事実もまた、社会に大きな影響を与えました。特に「死刑廃止」や「死刑執行をできるだけ伸ばす」という風潮のある中で、すでに判決が確定しているとはいえ、13人という死刑執行自体でも大きなショックでした。

ここでは、「死刑廃止」に焦点を当てて議論を進めていきたいと思います。

もともと刑法とか刑罰というのは、世界的にはハンムラビ法典やユダヤ法典など、メソポタミアを中心とした文明の中から確立してきたもので、近代法体系はドイツやイギリスなどがその先頭を切ってきました。18世紀には人道的な立場からの死刑廃止論や、反対に主権を重んじる人たちは、死刑を支持している場合もあります。現在のヨーロッパは死刑廃止に向かっていますが、総じていえば「戦時は死刑支持、平時は死刑反対」という傾向はどの国武田邦彦メールマガジン『テレビが伝えない真実』~今の話題を深く考える2:オウム真理教死刑囚の死刑執行、死刑廃止論と弁護士~でも見られることです。

もちろん、社会の刑罰はその社会の文化そのもののところがあり、日本でも日本独特の発展を遂げてきました。もともと大陸からの文化が入る前の日本は穏やかでしたから、中国の書に「日本には死刑なし」と書かれているような状態でしたが、これは「人を殺したのはその人そのものではなく、その人についた悪霊だから」という論理があったようです。

でも大陸から非日本的な文化が伝わったこと、天皇という権力が生まれたことで、残虐な死刑も行われるようになりました。でも一般原則に従って、平安時代になると、一応「苔・杖・徒・流・死」という刑罰の分類ができ、島流しより厳しい刑罰として死刑が存在しました。しかし貴族文化には死刑はなじまないので、平安末期には死刑を廃止しましたが、そんな「なまぬるい」社会は許されず、武士の台頭、貴族の没落となり、むしろ「釜茹での刑」、「串刺しの刑」といった残虐な刑罰が復活したのです。

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